将棋世界2008年7月号の先崎の素敵発言について

将棋世界 2008年 07月号 [雑誌]

将棋世界 2008年 07月号 [雑誌]

本棚を整理していたら少し前の将棋世界が出てきたのでパラパラ捲っていたら、「千駄ヶ谷市場」の先崎の言葉があまりにヒドかったので、その部分を華麗に引用。打つのが面倒だったがそれを上回る威力がある。読んだ当時は、呆れ返ってスルーしたのかもしれない。普通ならブログかなにかにコメントしそうなものだ>私。



 ところでこの後者の取組が、ある酒の席で若手棋士たちの酒の肴になったことがあった。大先輩に失礼ながら、阿久津が勝つだろうという内容で、しかもその確率がどのぐらいかという会話を延々としている。
 聞いていて、すこし頭が痛くなった。大先輩に対し非礼だからというからではない。何か、大げさにいえば最高の頭脳集団である将棋指しという世界の、次代を背負う人間の会話として、ふさわしくないものであるように思えたのである。「まあ阿久津勝ちだろうね」であっさり済まさずに具体的な数字をあげてアツク語るのは、あるいはそれが若さというものなのかもしれない。しかし私は、頭の底がむずがゆいような感じを覚えたのだった。
 おりしも本号では、橋本−阿久津で順位戦の予想対談をやるという。最近はそうした流れにあるのだろうか。
 過激なことは嫌いではないし、彼らが今のトップ棋士がおとなし過ぎることに対する反動があることもわかる。それに自分もずい分やんちゃしたものである。それでも、棋士が、それも明日の将棋界を担う棋士が、順位戦について公にコーシャクを語るのには違和感がある。その覚悟があるのならいいのだが、棋士が、他の棋士のこと、得に強弱についてのデリケートな部分について評論するのは、決して格好いいことではないということは分かっていてほしいものである。

先崎学には失望し続けてきた。好きな将棋指し故愛憎相半ばな気持ちだ。

羽生に追い抜かれて元天才と皮肉られるものの、天才少年として登場18歳でプロになる。サービス精神旺盛で、棋士の評価を率直に言葉にしたため、諸先輩棋士の方々からいろんな洗練を受けた。8年C2に居たのはそのせいなわけです。その後、連続昇級でA級に到達できたものの、当時の順位戦の相手を眺めるとロートルばかりでいま思えばラッキーが続いていたようだ。実際、後に押し寄せてくる羽生世代以降の若手にはまったく持って歯が立たなくなってしまう。

物書きとして商品価値を見出された彼は本業と平行してアルバイトにせいを出すようになる。もっとも低段時代だってパチンコ、パチスロに明け暮れていたというから、将棋をまじめに取り組んでいるとは思えない。少なくとも将棋を中心にして生きてきたわけじゃない。

といった、先崎の生き方を知っている将棋ファンとしては、さきほどの引用文を読むと本当に悲しい気持ちになる。みんなこう思っていることだろう、


「お ま え が い う な」


と。あなたが散々やってきたことじゃないか!

なにがむかつくかといって、散々弱い棋士を小バカにしていた本人がその弱い棋士へ仲間入り後、今度は同じように生意気をいう後輩に対して皮肉を書いているところだ。ほんと、完全自己否定を平然とできてしまう精神構造が素敵過ぎる。飲み屋での出来事なのだからスルーしてあげるあるいは、本人にいえば済む話をわざわざ雑誌に書いて論う態度こそ、先崎の嫌ってた既得権益にしがみつく古参将棋指しそのものではないか。

過去天才といわれ祭り上げられた者の末路というのはえてして悲惨なものだが、その典型例を目の当たりにしてしまうと鼻白む。唯一将棋界への恩返しであったこの「千駄ヶ谷市場」もやめてしまった今となっては、「3月のライオン」の監修をきちんとこなして、静かに過ごして欲しいところ。過去の言動や作品はとても出来がいいのにねぇ…。


出来のよい作品
一葉の写真―若き勝負師の青春 (講談社文庫)
先ちゃんの順位戦泣き笑い熱局集


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