叔父と従兄弟が来福して父を見舞う

なんでも認知症の父の見舞いに関西から叔父(父の弟)とその長男が来福する、というのでその応対のために朝から実家へ。昨夜から全国的に荒れ模様で、移動するだけで大変でしたが、昼過ぎに合流し地元の寿司屋で会食後、一族の遺骨を収めたお寺へ参り、その足で施設へいって父と対面してきました。

寿司屋で懐石料理的なコースを頂いたのだけれど、地元は正直いって海から遠い。にも係わらず刺身なんかが出てくるわけなんだけれど、冷凍、輸送技術の発達のお陰で内陸部でも美味しい魚料理が食べられるというのはよいことなんでしょうが、私からすると新鮮な魚は海が近い地域のほうが圧倒的に有利なわけで、なぜあえて内陸部でそんなサービスをするのだろうか、地元の食材を生かした料理を出せばいいのに、とか思うのよね。

んー、でも地元の方がよく通う店らしく、そうか地元の人は美味しい魚を食べるにはこういう店に来ないと難しいから、それはそれで価値があるんだな、と想像したり。

その食事中に叔父から父の若いころの話をいろいろ伺いまして、それが家族が誰も知らないエピソードだらけで驚愕の連続でした。父は自分の生い立ちや仕事の内容をほとんど家族に語ることがなかったんだよ。聞いてもずっとはぐらかされたんだな、何故か。理由は謎。謎なんだよ。認知症になったのでもう本人からは聞けないんだけどさ。

あるとき父が勤めている会社から祖父に電話があったんだって。父方の祖父も私が小学2年生の頃に亡くなったのでほとんど記憶になく、どんな人が知らなかったんだけどね。なんでも父が会社に組合を作る首謀者として活動をしていて、結果的にそれは作られ待遇が大幅に改善されたそうなんだけど、それで会社から祖父に「あなたのご子息なんとかして下さい」と泣きつかれたんだってさ。そしたら祖父は「そんなんやったらクビにしたらよろしいやん」と言い放って電話を切ったんだって。それを聞いていた叔父は、無茶苦茶やなあと思ったそうなんだけど、そういう性質は親父に引き継がれ俺もそういうところあるなぁ、と呆れてしまったよ。

堅物な父は実はデザイン的なことが大好きで、子供の頃は電車のデザインを応募して入賞したりしていたりしたそうです。幼馴染が二科展に毎年出品する芸術家で、大学教授までになった人がいて、毎年母と二人でその人の展示物を見に行ったりしていたとか、というかさ、何故俺にそういう情報を公開しないのか謎。うちの両親は。秘密が多すぎる。俺が20歳の頃じつは親父は胃がんで胃を全摘出して結構危なかったらしいのだけれど、それ教えてくれたのその出来事があった3年後とかだったからね。意味がわからない。心配を掛けたくないとかいっていたが、そういうこと多いよ。大阪に貸しアパートや土地持っているとかいってたけど、それいつからよ?

まあいいや。

で、叔父とその長男と一緒に父を見舞ったわけだけど、もうほとんど認識出来ていない感じだった。思い返せば一年前、娘の入園式に来てもらって一緒に娘と写真を撮ったときはまだマトモに話せたのになあ。その後、暇を持て余して酒を呑むしかなく、その結果アル中になり飯を食えなくなって激痩せし、併せて認知症が発症という流れで。親父からはこっちには話しかけてこず、こっちから息子だよ、とか弟だよ、というと、「そりゃわかっとる」と答える父。嘘つけ。わかってないやろ。天気や食べたご飯のことでさえ分からなくなってて、なんだろうな、今の生活ってどんな気持ちで過ごしているんだろうな。数日は春のせいかイライラして同じ施設に入っているお婆さんをどなりつけたりしてたらしいのだけれど。

叔父は兄弟だけあって親父とそっくりで、喋り方は仕草、発想なんかも似ているんだよ。だから妹が叔父を見るたびに、父の元気な頃を思い出して泣きそうだったといっていた。まあな。確かにな。もう元気な頃の親父に戻ることはないだろうからな。

歳を取るというのはなかなかしんどいものですな。順番だから仕方ないけどね。