加藤一二三「将棋名人血風録」感想

あー、加藤先生の本「将棋名人血風録 奇人・変人・超人」どっかにいってしまった。部屋中探してもない!感想書こうと思っていっぱい付箋付けたのになんていうことだ。というわけでうろ覚えで忘れないうちに感想書いておこう思います。

内容(「BOOK」データベースより)
1612年、江戸幕府徳川家康が大橋宗桂に俸禄を与え、「将棋名人」が誕生して400年。現在まで「将棋名人」の名を引き継いできた。世襲制から実力制が始まり名人戦は数々の“事件”と“伝説”を残してきた。本書は実力制第6代の名人の著者が歴代棋士たちと繰り広げた時代を回想、奇抜な将棋棋士たちの知られざる姿を改めて綴る貴重な一冊である。


タイトルについて
副題である「奇人・変人・超人」は明らかに編集者の加藤一二三への当てこすりだといってよかろう。事実であるにせよこれは酷すぎるw。にも関わらず出版されているということはご本人は気にしていないかよくわかっていないのだろうな。不憫でならない。

そして私のような将棋愛好家にとっては加藤一二三の人柄、人となりを知るだけに苦笑しかでないわけである。ちょっとそれはないのじゃないかと。百歩譲ってほら、他の名人もそれなりに奇人、変人だったでしょ?というかもしれないが、著者加藤一二三だからね。ミスリードしてるよなー。

なので誠実さに欠けるのじゃないかと思うけれど売れればソレでよいのですかね。


加藤節
自戦記だと定番の「私はこう指した。相手はこう指した。だから私はこう指した」という事実と気持ちをただ並べるだけで読み手を一切無視するわけですが、読み物の場合の定番は、とにかく世界的に偉い人の業績を挙げ、自分と一致している箇所を抜き出して、だから私も凄いんだよ?と権威をかざそうとするその幼児的な手法に様式美を見出すのであります。

引用したいけれど手元にないのでアレですが、たしか勝負数がダントツ一位であることを挙げたのち、とはいえ数が多いだけではダメで、その殆どが名局だと訴える。そして……数が多いけれど素晴らしい作品を残したいえば、そうモーツアルト。彼、凄いよね?ということは私も……ね(チラッ)。

ひふみたんがこっちの様子をチラチラ伺っている様子が目に浮かぶんだわこれ。まあ
いいんだけどさー。

あとそうね、渡辺竜王が褒めてくれたことを挙げ、加藤の名手は棋士なら誰でも知っている、と煽てられて真に受けるあたり、どう考えても渡辺のヨイショなんですけれど可愛いというかなんというか。

嫌味にならないのが加藤先生のいいところなわけですけれど。

ところで、

私見を述べれば、戦いの最中は、相手を傷つけたり、不快感を与えたりしない限り、何をやってもいいと私は考えている。--p32

とあるがその数ページ前に、

けれども、棋士によっては相手のリズムの取り方を不快に感じることもあるようだ。現に、私の「あと何分?」に対しては、「不愉快だから、やめさせてくれ」と訴えた棋士がいて、なかにはこういう行動を取った人もいた。-- p29

って流石の加藤先生、やりたい放題だな!


中身について
名人位についた棋士について加藤の寸評が半分、自慢半分で出来ており大方の予想通りである。現役が長いということもあって対戦者が豊富というのは彼唯一のものであり、その体験が書かれているという意味では貴重です。将棋界のあらゆることを知っておいででしょうからご自身の素晴らしい棋歴の披露は少なめにして、昔話をもっとしてくれると嬉しかったです。

歴史は勝者側しか語られないことが常であり、加藤もまあどちらかというと勝者側ではあるけれど、絶対王者ではなかったのでそのあたりの空気が知りたいんだよなぁ。

これ加藤とかだけでなく、将棋界のあらゆる棋士、関係者の話をもっと聞きたい、読みたいです。河口師クラスの書き手がいない今、棋士の話を読みたい人って多いのではないか。

そんな中今将棋世界で連載されている棋士同士の対談もの、これ結構いいですよね。今まで地味だったり日の当たらなかった人達までフォローされそうで楽しみです。過去出版された将棋王手飛車読本みたいのもっと出ないですかねー。






今月の将棋の対談は棒銀対談、というわけで加藤先生と飯塚七段です。読み応えあるよ〜。将棋世界週刊将棋共催の棋戦?も面白そう。これは来月から。



棋譜について


本書の場合、棋譜に沢山触れているのだから、最低限言及している盤面図を載せていもいいと思うのよね。それに名人の系譜の棋譜は重要なのだから巻末に付けてもよかったんじゃないのかと。ライトな読者向けとはいえ、ちょっとこれはなぁ。


というわけで言及された棋譜のうち気になったもので且つ「将棋の棋譜でーたべーす」にあるやつを以下にリンクしときます。



渡辺が4四銀同金6二歩という手を知っていて驚かされたという棋譜

渡辺さんがいった。
「加藤先生は昭和五四(1979)年の王将戦で、中原さんの6五歩に対して4五歩と突いたでしょう。あれは、ふつうはなかなか指せない手です。どうやって指したんですか?」-- p188